焦りと逃げと散財

憧れと嫉妬、そして諦め

自分よりも写真を始めた時期が遅い人が、写真作品で世界的な評価を得ているというニュースを見る。

日常の何気ない風景を撮り続け、時間や季節の移ろいを記録に残して、作品を作り上げて、評価されている。

すばらしいことだ。
同年代として尊敬できるし、その継続性や芸術性、あり方に共感する。

一方で、「なんで自分にはできないのか」とも考えてしまう。

10年以上、カメラで写真を撮っているのに、一向に成長しない。
自分の撮影した写真に自信を持てないし、住む場所は機材によって撮影対象が左右されるし、取り組む頻度も時期によって変化する。
一貫したテーマらしきものも持てていない。

最近は写真を撮りに行くのを面倒くさいと感じることも多い。
寒くなっていくにつれ、さらに足が遠のく。

不純な動機

差がつくのは当然だ。
写真に対する熱量が違いすぎる(センスの差もあるが)。

以前の記事で分析したとおり、私はすでに写真への興味を失いつつある。
そもそも、はじめてカメラを買ったあの日から、「写真」に興味があったことがあったかどうかも怪しい。

一人でいることが好きだ。
その一人でいる時間を確保するために、後付けで趣味を作り上げたという側面は否定できない(写真、Apple製品、ガンプラ)

そんな取り組み方で大成するわけがない(たぶん)。

無気力、無軌道な人生

最近は悪影響が派生し、日常生活、特に仕事への取り組み姿勢も粗悪になってきた。

物事への興味が減退していく。
これは加齢によるものなのか、それとも昨今の情報化社会に毒されているのか。
SNSの見過ぎか?
社会への絶望感、自分への絶望感が常に心にある状態というか。

道東に住んでいることを言い訳に写真から離れすぎたか?
Apple製品を買うだけでは意味がない。活用しなければならない。
ガンプラは積むものではなく、作るものだ。

ブログはいつ更新するんだ?

あーうるさい。
仕事でもないのにそんなことで悩むのは馬鹿馬鹿しい。

考えるのも面倒くさい。
でもせっかくの空き時間に寝ているのはもったいない。

Xでも見るか。
YouTubeでも見るか。

帰結

無駄にXやYoutubeを見る時間が激増したことで、物欲を刺激する記事・動画に接する機会が増えた。
「他人よりもお得な買物情報」を求めてネットショップを徘徊したりすることが増えた。

その結果、「得するために買い物をする」という、意味不明の状況に。
「今買わなければ損するカメラ」の情報を手に入れてしまい、「使わないカメラ機材」を買う。
「今買わなければ再入荷しないガンプラ」の情報を見てしまい、「作らないガンプラ」を買う。
「プレミアが付きそうな写真集」の情報をゲットし、「読まない写真集」を買う。

結果、「家にいらない物が増え、金は貯まらない。」という最悪の悪循環へ。

まとめ

記事を書いていたら少し落ち着いてきた。
今の状態では、何をしても、何を買っても満足できない。

先日記事にしたとおり、ひとまず無駄な動きはやめて倹約しようと思っている。

広告やSNSに惑わされて、「買う理由」を作り上げるのはやめよう。
「今、やりたいこと」が見つかるまでは、無駄な出費を避けよう。

っていうか、必要以上にXやYouTubeを見るのはやめよう。心が死ぬ。