ストリートフォト再考① -定義-

ストリートフォトとは?

ストリートフォトとは何か。
ストリートフォトとはどうあるべきか。

今年の夏の自由研究として、改めて考えてみたい。

なお、以下の考察は「私が考えるストリートフォト」の話であり、個人的な見解である。
間違っても、「これが普遍的な概念で、正しいものだ」という記事ではない

よし、言い訳完了。

参考図書:ストリートフォト・マニュアル 偶然を味方にする撮影術 デイヴィッド・ギブソン著
※ 本を読みながら書いているので、理解度に応じて後で修正するかもしれない。

ストリートフォトの要素

今回の記事では、ストリートフォトを構成する要素について考えてみよう。

偶然性(ドキュメンタリー)

ストリートフォトと聞いてまず思い浮かべる写真とはどのようなものだろうか。

ンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間?
森山大道のStray Dog?
それともInstagramで昨日見た、街で撮影されたモノクロ写真?

一般的な意味の「ストリートフォト」という概念は、「街で撮影された写真」というくらいしか共通点がないようにも思える。
だから、その意味は自分なりに定義するしかないと思う。

私にとってストリートフォトとは、「街を歩いて、偶然または故意に遭遇した事象を撮影した写真」だ。
ここでいう「故意に」は「故意に引き起こした事象」という意味ではなく、「予想して特定の場へ故意に赴き、そこで偶然遭遇した事象」という意味だ。

つまり、手段はどうあれ「街で出会った事象に対し、偶然性を持って撮影された写真」ということだ。

Leica Camera AG LEICA M MONOCHROM (Typ 246) (SUMMICRON-M f2/50mm (3rd), 50mm, f/2.4, 1/180 sec, ISO500)

これの対義語が「自らお膳立てして撮影した写真」ということになるだろうか。
種類としては「ストリートスナップ(ポートレート)」「モデル撮影」「エキストラを使用した撮影」あたりがそれに当たる。

では、果たして「創作された場面を撮影したもの」をストリートフォトと呼べるのか。

この問いには答えがないように思う。
これを議論すると、最終的に「各々がストリートフォトに求めるものはなにか」という話になるからだ。

だから、ここで述べているのはあくまでも私の考えだ。

写真に対する評価には2種類あるように思う。
「写真が良ければ、過程は不問」という価値観と、「撮影の過程やストーリーを重視する」という価値観だ。

私は、どちらかといえば後者の考えだ。

これは極論だが、前者の考えを突き詰めると、創作の方法はAIでもCGでも合成でもなんでもいいことになる。
カメラもいらないし、なんなら街に出る必要すらない。
そして最終的には、きっとAIが勝つのだろう。

ただ、それは果たして「ストリートフォト」なのか?
ストーリー性も身体性も過程もないそれは、ただの「画像データ」ではないか?

Leica Camera AG LEICA M MONOCHROM (Typ 246) (SUMMICRON-M f2/50mm (3rd), 50mm, f/2.4, 1/250 sec, ISO500)

ちょっと極論が過ぎた。

では、「エキストラを雇って街を歩かせ、偶然を装って撮影された写真」はどうか。
これは「写真作品」とは呼べると思うが、正当なストリートフォトなのかと問われると、首を傾げたくなる。

こういう写真の本質は「詐称」。つまり嘘だ。
その素晴らしい写真は、確かに鑑賞者を感動させることができるかもしれない。
社会的な地位や名誉が得られるかもしれない。

でもその行為には中身がない。
詐称による評価は最終的に誰も幸せにしない。
しかもいつかバレる。なぜなら再現性がないから。

それに、情報を捏造・詐称した写真を世に出すのは、今の時代とてもリスクが高い行為だと思う。
しょうもない嘘が露見して表舞台から消えていった盗作写真家もいたなあ。

Leica Camera AG LEICA M MONOCHROM (Typ 246) (SUMMICRON-M f2/50mm (3rd), 50mm, f/5.6, 1/1000 sec, ISO500)

私の結論。
どんなに優れていても、過程を無視して「ただ作られたもの」は「優れた画像」ではあっても「ストリートフォト」ではない。

なるほど。
私はストリートフォトの偶然性・真実性やその過程に価値を見出しているのか。
なかなかに過激派だ

…悲しいのは、私に「その写真に偶然性・真実性・過程があるか」を見分けられないということ。
さらに、実際に私が撮影している「ストリートフォト(笑)」は、偶然であり真実ではあるが感動はないということ。

虚しい空論だ。

ライブ感

Leica Camera AG LEICA M MONOCHROM (Typ 246) (SUMMICRON-M f2/50mm (3rd), 50mm, f/4.8, 1/1000 sec, ISO500)

人の流れ、街の光、雨音、静謐、喧騒。

街で「本当に体験した物事」が、写真に記録されていること。
それがストリートフォトの醍醐味だ。

AI、CGが代替できないもの。
それは自分だけの価値観であり、撮る喜びだと思う。

感情を揺さぶる

Leica Camera AG LEICA M MONOCHROM (Typ 246) (SUMMICRON-M f2/50mm (3rd), 50mm, f/4.8, 1/750 sec, ISO500)

これは完全に自分の写真に足りないところ。

私は鑑賞者の感情を刺激する写真を撮りたい。
写真を見た者が想像力を掻き立てられるような写真。

ストリートフォトに関して言うと、「街の感情を読み取って記録する」みたいなことだ。

まるでその街を歩いているような感覚を体験できるような写真。
祭りやパレードの歓声が聞こえるような写真。
錯視やユーモアを織り込んだ構図の写真。

これが何年経っても撮影できない。
人間の感情が理解できない。

まとめ

大事なのは偶然性、ライブ感、感情。

長々と語ってしまったが、これでもまだ語り足りないので、この話は次回へ続く。

次回のテーマは、「ストリートフォトに適した機材とは?」

せっかくだから、一度深く考えてみたい。

Leica Camera AG LEICA M MONOCHROM (Typ 246) (SUMMICRON-M f2/50mm (3rd), 50mm, f/2.8, 1/1000 sec, ISO1000)