今回はちょっと真面目な話だ。…っていうか、定期的に同じような話題を記事にしているような気がするが。
札幌に帰ってきてからというもの、街中での撮影に限界というか、マンネリというか、とにかくなんかモヤモヤするものを感じていた。この感情について少し整理しなければならないと思っていた。
私がライフワーク(?)としているはずの「街を撮影する」ということについて、少し考えてみた。
街撮りの難しさ
街を適当に歩き、ピンときたらパシャパシャ撮影する、というのが基本的なスタンスだった。最近はそれではいけないんじゃないかと思っていて、「作品を意識する」「落ち着いてタイミングを図る」「写真にストーリー性を付与する」とか、撮影前はいろいろと耳障りのいい言葉でプランを考えるんだけど、撮影中はきれいさっぱり頭から飛んでいってしまっている。
なぜか。
撮影技術
ドラマチックな街撮りには、速写技術が必要だ。歩行者がフレームイン。構図、露出を調節し、ちょうどいいタイミングに人物が移動したところでシャッターを切る…
そのためには正確に素早く露出を合わせられるほどカメラ操作に熟達していなくてはならないし、そもそも構図は事前にロケハンして決めておくか、イメージを常にしておかなければならない。
そして度胸。人物がいる、ということは少なからず「なんだこいつ」という視線に耐えなければならないし、間違っても不審者扱いされないような振る舞いが必要になる。
実際のところ、街中での撮影で撮影前のプランを忘れていたり実行できなかったりするのはこの2点が欠如している事によると思っている。結論から言うと、本番でテンパってしまい、作品作りも構図もストーリー性も忘れて恥ずかしがっている、ということだ。非常に残念なおっさんだ。
余談だが、撮影度胸については札幌に来てさらに減退したことを実感している。この街は世間が狭い。しかも地元。街中でカメラを構えている人間が少ない(ほぼいない)。心理的なハードルは爆上がりだ。
東京はなんやかんやで知り合いに遭遇する確率なんて天文学的な数字だったりするし、いろいろな人がいるからそこまで意識してみられることはない(と感じていた)ので、もう少し余裕を持って撮影できていた。札幌では…なんかいちいち視線が気になる。
自意識過剰なのかもしれないけど。
プライバシー・マナー
「札幌だから」を脇に置いておいたとしても、街中での撮影には常に付きまとうのが「プライバシーの侵害」と「マナー違反」への配慮。街で写真を撮るという行為そのものが「プライバシーの侵害」であるかのように感じる人間も少なからずいるだろう。撮影者からするとそんなつもりはなくても、相手からすればレンズがこっちを向いているだけで「何こいつ私を撮影しようとしてんだ、変質者め」みたいな感じで見られている(ような気がする)。
この辺はきっと、厳密な線引きが難しいんだろうと思う。後ろ姿ならいい、人物が特定できなければいいなんていうのも、きっと撮影者側の一方的な主張なんだろうし、場合によっては建物の肖像権なるものを主張されることもあると聞く。いっそ街中は完全に撮影禁止とかにした方がすっきりするのかもしれない(私は死ぬかもしれないが)。
考えても答えが出ないので、明らかなマナー違反(X100Vのアレとか、盗撮を疑われるような撮り方をするとか)とかはしない、と気をつけることしかできない。で、きっとそれでもトラブルはやってくる。…結局は遭遇した時に考えるしかない。
積極的すぎても消極的すぎても、いい写真は撮れない。街撮りは難しい。
※本当は、モデルを雇ってその人をいい感じに配置して撮影する、というのがもっとも効率的に街撮りを成功させる方法な気もするが、モデルを雇う…?ハードル高いなぁ…。知らない人と話すってことでしょ?
街撮りの面白さ
なんか文句ばっかり書いていると、「なんでこいつ街撮りしてるんだ、やめればいいのに」と思われる気がするので、私がなんで街撮りをするのかについて書いてみたいと思う。
街の魅力を再発見
街というのは、大多数の人にとって「普段過ごしている当たり前の景色」だ。通勤に買い物に、当たり前のように利用する街の景色は「生活のために必要なもの」という認識であり、気にも留めないのが普通だ。
写真を撮るようになると、「ここは毎日通勤で通るけど、朝夕は光の入り方がいい」とか「ここの建物と樹木の配置、いい感じの構図で写真が撮れそうだ」とか考えるようになる。写真を撮る以前と比較して外を歩くのが楽しくなったし、カメラのおかげで週末は引きこもり生活を送らなくなった。
最近は「モノクロ」とか「機材」とか、いろいろと撮影以外の余計な要素に気を取られている気もするが、そんな制約も含めて街撮りを楽しんでいる。
アクセス
あと、「素晴らしい写真といえば絶景写真」という偏見のアンチテーゼのような立ち位置も気に入っている。
いや、絶景写真が嫌いなわけではない。むしろ大好物なんだけど、絶景ってとにかく撮影のハードルが高い。朝の3時に車で現場に向かって、同じようなカメラマンと陣地の取り合いをして、同じタイミングで同じように写真を撮る…みたいな。しかも天気が思うようにならなければそれまで。
絶景写真を撮影するカメラマンを尊敬する。でもそれは私にとっては地獄のような苦行なのだ。とても無理だ。
街の撮影は、とにかくアクセスがいい。絶景のようなハードルの高さはない。「周囲の目」に悩まされるし、圧倒的な景色は望めないというハンディキャップはあるけど、まずは撮影できることが最優先。
いい写真が撮れる場所は「いつもの街」でも、探せばきっと見つかる(と信じている)。
作例
というわけで、ここからは先日札幌駅周辺を撮影した写真を紹介する。上で言ったことの補強には…まあ、ならないと思うが。
今回は夕方〜夜の札幌駅前。それにしても、日が短くなったなぁ…。
街と車
「街と車」というカテゴリを意識していたりいなかったりして撮影した写真群。
路面
モノクロームと質感描写は相性がいい。困ったら地面を見下ろして撮影する。横から光がさしている時が撮影のチャンス!
…同じような写真になってしまうのが難点だ。ストーリー性?なにそれおいしいn
遠近感
遠近感を強調する、奥行きを意識した写真。撮影に行くと、だいたいこういう写真を1枚は撮影する。…まあ、単に好きなんだと思う。
…他にもあるけど、それはまた別の記事で紹介しよう。
まとめ
ストーリー性?なにそれおいs
街の撮影は続けていきたいが、マンネリしないようにもっと撮影前に考えてやっていきたい(面倒くさがらずに)。
それにしても札幌での撮影、雪が降ったらまた違う印象になるのかもしれない。密かに冬を楽しみにしている(今だけかもしれないが)
記事の文章と、各写真を非常に愉しく拝見しました。
私も、敢えて絶景を狙ってどうこうするというのでもなく、自身が居る辺りや、訪ねて辿り着いた場所で、その場所なりの面白さを求めて、何となく提げているカメラで画を撮ることに意義や意味を見出そうとしているという感なので、こちらの記事に綴られた一つ一つに大きく頷いています。
掲載された各作品に関して、何処となく「妙な奴が妙に写真を…」という変な目線も感じながら撮っていたことは想像に難くないですが、“「素晴らしい写真といえば絶景写真」という偏見のアンチテーゼのような立ち位置”という事柄へのアンチテーゼということに、かなり強く共感します。
佳い写真は、多分「どうでもいいような、その辺を動き回っているような時間」に普通に産まれるモノであるのだと私も思います。
そういう意味で、こちらで出て来る作品には期待したいです。
コメントありがとうございます。
なんとなく提げているカメラで画を撮る、そこに意味を見いだせるか。素晴らしい視点だと思います。私はまだまだその境地には達していないのかもしれません…。絶景写真は普通に素晴らしいと思うのですが、写真集を買おう!となるとなんとなくストリートフォト・スナップ系の写真集を手に取っている傾向があるので、無意識に感じるところがあるのかもしれませんね。
「佳い写真」を撮れるかどうかはわかりませんが、これからも街中で変な目で見られながらもカメラを構えていきたいと思います!
毎回の素晴らしい記事・写真ありがとうございます。
>撮影者からするとそんなつもりはなくても、相手からすればレンズがこっちを向いているだけで「何こいつ私を撮影しようとしてんだ、変質者め」みたいな感じで見られている(ような気がする)。
私がカメラを始めた頃(30年くらい前?)は、それほど感じてませんでしたが、最近はちょっと視線が厳し目です…orz
但し…それは私一人で街角撮影している場合のみで、嫁さんと二人で撮っていると柔らぎます。
(特に街中に女性・子供連れが多い場合)
なので街角撮影の場合は、嫁さんと一緒に行くように心がけてますwww
奥様と2人での撮影、いいですね!
やっぱりおっさん1人で撮影してるのがまずいのか…でもフォトウォークは自分のペースで撮れなくなるのであんまり好きじゃないんですよねー。
ジレンマです…