なんのためにブログを書くのか
最近、ブログ記事の筆が乗らない。
もともと更新頻度は高くなかったのだが、ここ最近はさらに乗らなくなった。
単純に「ブログ執筆に飽きたのか」とも考えたのだが、私は自分が作ったこのブログのことが今でも好きだし、なんか少し違う気がする。
私がこのブログを立ち上げて、それを続けている理由はなにか。
「趣味としての写真を唯一アウトプットできる場所」
「カメラ機材に対する考え方の整理・発信の場」
「承認欲求」
「仕事して帰って寝るだけの無意味な人生への抵抗」などなど。
そういう「生きがい」活動みたいな側面が強い。
だが、ここ最近はその理由が薄れつつある。っていうか消えつつある。

ブログによって生きづらくなる
ブログで趣味に関する意見や希望を書くことによって、自分の行動が悪い意味で制限され、選択肢が狭まっているのを感じる。
…自意識過剰なのは分かっているが、過去にここで書いたことと矛盾した行動をとることが怖く感じることがある。
実際、今までも以前書いたことと正反対なことをすることは多々あったが、そういうときはやっぱり恥ずかしいと感じたし。
一貫性がない行動は、人を不快にさせるものだ。
自分が読者だったとしたら、そういう矛盾した行動を目の当たりにしたら批判したくなる。
…そんな人から批判されるリスクを負ってまでブログをやる意味があるのか?

ブログに書くネタがない…?
最近は撮りたい被写体から物理的に離れていることもあり、写真に対する興味が薄れ、反比例するように機材の収集欲が増大。
転売ヤーと円安により欲しい機材が手に入らないこのご時世、「普通に買えない機材で撮影する下手な写真」を記事にするのは気を使う。
どこからヘイトや嫉妬を買うかわからない。
さらに最近暇な時間にYouTubeのライブ配信ばかり見てしまうという悪習慣が抜けず、それに引っ張られるように週末やる気が出ない。撮影に行かない。ネタがない。
そんな状況で、機材のことを書いたブログ記事が原因で人格攻撃などされようものなら、趣味もブログもひとまとめに全部放り投げかねない。
もしかしたら、ブログがないほうが気楽に趣味を楽しめるのか…?とも思うが、ブログをやめてしまうことで、ただでさえつまらない私の人生が、さらにつまらなくなる恐れがあり、やめられない。
依存症である。
今後もブログを続けるには、「それでもブログを続ける理由」を見出さなければならないし、そもそももう少し写真とカメラに向き合う時間を取る必要があると思う。

結論
よし。
なんか買って、なんか撮るか。

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