久しぶりにモノクロームを撮ってみて
11月に東京へ旅行してきた。
そこで久しぶりのモノクロ×ストリートフォトを撮影してきたので、その時の写真を眺めつつ、モノクローム写真への今後の取り組み方について考えてみた。

東京旅行を通じていまさら思い出したが、もともと私は「モノクロでストリートフォトを撮影すること」を趣味としている。
写真を撮れればなんでもいいわけではなかった。忘れてた。

そして、ストリートフォトと言っても地方都市の住宅街を撮りたいわけではないし、近所の公園を撮影したいわけでもない。都会の建築物の造形がユニークで面白いとか、光の入り方が美しいとか、そういうことを表現するのが楽しくて写真を撮っていたはずだ。
もちろん、東京で写真を撮る行為が100%素敵なことばかりというわけではない。撮れ高が良くないこともしばしばあったし、途中で撮影をやめてただの散歩になったことも何度もある。
それでも今回、たった1日半の旅行で、道東での数ヶ月分以上の写真が撮れた。
そして、その時に使用したカメラは圧倒的にM MONOCHROM(Typ246)が多かった。
それはつまり、私にとって「写真趣味」とは、東京(のような大都市圏)の中でモノクロ映えする被写体を発見して写真に収めることだ、ということだろう。

私が好きなモノクロ写真の傾向
そこで改めて考えてみる。
私はどんなモノクロ写真が撮りたいんだろうか。
Instagram等の写真共有サイトでいいねを押すことが多い写真は、「グラデーションが美しい建築物とシルエット」や「海外の霧がかかった石畳の街の風景」。
比較的コントラストが高く、どちらかというとハードトーンのモノクロ。
逆にあまりソフトタッチなポートレートには惹かれない(というか現実的に撮影が難しいと思っている)。

「ハードトーンの街の写真」というだけでは漠然としすぎているので、もう少し掘り下げてみる。
私が好むモノクロのストリートフォトを見ていると、そこには「通行人」の存在が不可欠だと感じる。人が入ることで、建築物のみの単調な写真に変化が加わる。
基本的に脇役としてではあるが、主役を引き立てるスパイスとして、重要な要素だと思う。
まあ、その「人を入れる」というところが結構難しくて、大抵の場合はサボって建築物だけの写真になるんだけど。
写真映えのする人が偶然通りかかる可能性なんて相当低いし、本当はモデルを雇って歩いてもらった方が絶対に効率がいい。
いずれはそれも試してみたいと思うが、まずは腕を磨くほうが先だろう。

モノクロ写真への取り組み方
本当に写真を楽しむなら、撮りっぱなしではダメだと思う。
撮影後の編集方法も確立していかないといけない。
漠然とカメラの撮って出しJPEGをブログに貼っているだけでは上達しない。
実際、撮影した物をそのまま使うことはあまりなく、Lightroomで少し前に作ったモノクロ用のプリセットを適用しているのだが、配合をあまり覚えていないし、「少し深く重くする」程度の感覚しかないので、もう少し意図して画像を編集していきたい。
もちろん本分は「モノクロストリートフォトを撮ること」なのでほどほどにするつもりだが、もう少し独自色を打ち出せた方が楽しいだろう。

あとは「モノクロ専用カメラ」で撮る意義、「レンジファインダーカメラ」で撮影する意義とか、その辺りが確立していければいいのだが…。
今はまだ辿り着けていない。
そもそも現代のミラーレスカメラで撮影した方がピントも合うし素早いのが現実だ。
これはもう、回数を重ねていくしかないのかもしれない。

まとめ:現実に目を向けて
以上、これから取り組みたいモノクロ撮影についてあれこれと書いてきたが…。
私は今、道東にいる。
毎日、毎週、東京に行けるわけではない。
悲しいけど、これって現実なのよね…
とはいえ、興味がないものを撮っても意味がない。それは前回書いた通り。
現実と理想はいつだって遠く離れているものだ。
今回の東京旅行で、モノクロ写真の楽しさを再発見できたので、なんとか繋げていきたい。
完璧とは程遠くても、モノクロで撮影できる、少しでも興味のある被写体を考えてみようと思う。
なんとか振り絞って、この趣味を続けたい。


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